Hi Betty!

バニーガールと秘密の夜会 #3


目を覚ますと、視界に映り込んだのは見慣れた寝室だった。
陽光が照らす、静かな空間からは昨日のことなど嘘のように感じられた。

「もしかして、夢?」
「何を言ってるんだ。現実逃避も大概にしてほしいものだよ。」

声の方を向けば、クジャが分厚い本を片手にベッドの縁に腰を掛けていた。
クジャが本を閉じると、ぱたんとふくよかな音が部屋の中で反響した。
大方、本の内容は魔法か芝居の原作、もしくは美術品や骨董品に関することだろう。
以前、彼の横で一緒に文章を目で追ってみたことがあるが、私にはその面白さが理解できなかった。

「クジャ、…えっと、ごめん。」

ほんの少し冷めた視線が私を捕らえるが、すぐ溜息と同時に逸らされた。

「覚えているかい?君は小麦粉を買いに行くと言って出掛けたんだ。それが、何をどう間違えたら、ナイト家の地下に辿り着くんだい?そして小麦粉は?」

クジャは畳み掛けるように質問を投げかける。

「……それはたぶん、話すと長くなると思うの。……小麦粉はまだ買ってない。」
「だろうね。…#name#、おいで。」

彼は私を膝の間に誘導した。
人形にでもなった気分だった。

「君からは聞かないといけないことがたくさんあるんだ。何から聞いたらいいかな?」

耳元を掠める彼の声色には、寝起きのままの人形に今日の洋服を選んであげるような浮つきがあった。
彼の言葉で置き換えるなら、

-これもいいけど、あれも悪くないね。
-それとも…、あっちだとどうなるかな。

といった感じだろうか。

「私、わかるの。それ、弁明の機会を与えてやるって意味でしょ?」
「へぇ、少し賢くなったじゃないか。」

クジャはわざとらしく驚いてみせてから、やるべきことはわかるだろうとでも言いたげに、黒いマニキュアが塗られた指先を私の顎に沿わせた。

私は諦めてこれまでの経緯を説明した。
雑居区に向う途中にカードゲームをしたが、イカサマを見破られたこと。
その対戦相手がナイト家の当主だったこと。
イカサマの落とし前をつけるために、夜会のバニーガールをやることになったこと。
夜会後の自由を得るために、闘いに勝つという条件を提案したこと。
これらを包み隠さずに、だ。

「君は事を大きくするのが好きみたいだね。」

私の話を一通り聞いたクジャは呆れ返っていた。
恐らく、これからあることないこと嫌味ったらしくつつき回されるのだろう。
私は彼の含みを持たせた言い方があまり好きではなかった。
だから、こういった流れになるとよく悶着が起きる。

「別に、私だってそうしたかったわけじゃないわ。」
「だとしたら、まずは僕と連絡が取りたいと交渉するべきだったんじゃないかい?賭け事をする前にね。」
「だって、ナイト家とトラブルになったら困るもの。…闘って勝てばいいなら、その方が早いでしょ?」

やはり今回もそうだ。
私がもう少し大人になれば違うのかもしれないが、そんな日が訪れることは想像がつかなかった。

「あれで勝てばいいだなんて、言ったものだよ。…#name#、この身体は誰のものか知ってるかい?」

クジャの腕が私のウエストに回され、絡めとられるかのように身体が密着する。
それから、

「あぁ、身体だけじゃなかったね。」

と誘惑じみた声で付け加えられた。
彼の一番たちが悪いところは、まさにこういうところだった。

「…何を言わせたいか想像はできてる。」
「それでも、すぐには言ってくれないんだろう?君のことはよくわかってる。」

クジャは私の唇に指を触れ、ゆっくりと顎先までを辿るとこちらを向くよう促した。

「じっくり楽しみたいっていうのなら、それも悪くないよ。」

挑発的な笑みを浮かべる艶かしい唇が私の唇を奪った。
彼の口付けは、当然花瓶の花を愛でるかのような優しさに満ち溢れたものではなかった。
今、彼はガラス棚に並べらた骨董品の中から、偽物が混じっていないかを確認しているのだ。
一つ一つを手に取り、綺麗にカールしたまつ毛の下の淡い瞳で舐め回すように隅々まで見つめる。
彼は偽物には手厳しいのだ。

「貴族諸公の見世物になった気分はどうだい?」
「どうもこうもないわ。私はただ檻の中の巨人に夢中だっただけ。」

手のひらが太腿に添えられれば、寝起きから着用したままのベビードールの裾が少しだけ捲くれ上がった。

「それはそれは勇敢な子うさぎだよ。観衆の期待は、君が今にも泣きそうな可愛らしい目で助けを求める姿だったことにも気づかずに、ねえ。」
「でも、勝ったのは私よ。」

彼はゆっくりと目を伏せると私の肩を押し、シーツに倒れ込んだ身体に覆い被さるようにして手をついた。

「結果論の話だよ。最悪の結末はなんだったと思う?」

突き刺すような眼光で私を見下ろしたまま、クジャの手が無造作に投げ出された腿の付け根の部分をぎゅっと掴んだ。
捕食される草食動物の気分だった。
彼の口元は今すぐにだって私の首筋に噛みつくことができるのだろう。
自分でも驚いているが、私はこの状況に身が竦んでいた。
どんなに言い争ったって、彼の私を扱う手つきがこんなに荒かったことは今までに一度もなかったのだ。
私が何も言えずにいると、クジャの覇気の抜けた静かな声が小さく響いた。

-僕の目の前で、鉄球の下敷きになった君がぴくりとも動かないことだよ。

彼は硬直したままの私をよそに、身体を起こすと、朝ごはんにしようと言い残して部屋を出た。
ベッドの上に取り残された私は、シーツの皺と身体の震え、落ちた肩紐、彼の消え入りそうな吐息の感触といった余韻からしばらく離れられなかった。
彼は過信だらけの放縦な私を、そこにかけた憂慮ごと置いていったのではないか。
悲劇のヒロイン気取りな情感的な想像には、我ながら苦笑する他なかった。

ベビードールから着替えた私は彼の後を追った。
ダイニングルームのテーブルには、すでに食事が並べられていた。
クジャは律儀に待っていてくれたようで、私のティーカップに紅茶を注ぐ。

「久しぶりに紅茶を淹れた気がするよ。」

毒気の含まれていない柔和な瞳が笑いかけるので、私は短くお礼を言った。
彼は今さっきの出来事を引きずる気はないようだった。
食事中はお互いにこれといった会話をすることなく黙々と用意されていたパン、ソーセージ、目玉焼きを口に運んだ。
ほとんど冷めた食品が喉を落ちる間も、寝室でクジャが最後に言った言葉が頭を離れることはなかった。
朝食を食べ終え、ダイニングルームを出る際に私は彼の袖を引いた。

「クジャ、………悪かったのは私。」

口から出たのは、喉を絞られているかのように小さな声だったと思う。

「勝気な子うさぎはもう辞めたのかい?」

緊迫した私の言葉とは裏腹に返ってきたのは、普段通りの隠喩だった。

「子うさぎだなんて柄じゃないわ。…ねぇ、心配かけた?」
「当然だよ。君がいなくて僕が眠れると思うのかい?」
「それは無理ね。」

私たちは時間が止まったかのようにお互いを見つめるが、堪えきれなくなり、どちらからともなく笑い声を漏らした。

「言っておくけど、子うさぎはそれなりに似合ってるよ。どんなに強がったって、その小動物みたいな見た目は変わらないさ。」
「…ちょっと馬鹿にしてる?」

どうせ、華奢だとか小柄だとかいうことなのだろう。
この見た目のせいでだいたい舐められるのだ。

「愛くるしいって言ってるんだ。怯えるところまでね。」
「それは…」

彼の言葉が何を指しているのかに気づいた私は口籠る他なかった。

「怖がらせたかい?」

クジャはそっと私の頭に手を添えると、胸元へと抱き寄せた。
やっと彼の元に帰ってきたという実感が湧いた気がした。

「…いつも通りじゃなかっただけ。」

私は彼の左胸に頬を寄せたまま、精一杯の強がりで返した。

「ふふ、君は膝の上で撫でられているくらいが丁度いいよ。」
「…うさぎの扱いじゃない。」
「そうだ、聞かないといけないことがあるんだ。」

頭の片隅で彼が口にしようとしている言葉が再生されるのと、彼の言葉が現実世界に吐き出されるのは、ほぼ同じタイミングだった。

-君は誰のものなんだい?

彼はどうしてもそれを言わせたいようだった。

「わかりきってることなんでしょ?」
「再確認さ。忘れてしまわないようにね。君は誰の元にいて、誰の寵愛を受けて、誰に愛を囁くんだい?」
「…増えてる。」
「聞かせてくれないならどうなるか、試してみてもいいけど?」

クジャは私の頬、首筋とゆっくりと撫で下ろし、鎖骨まで辿り着くとリボンを解いた。 そして、薔薇の花弁を掻き分けるように胸元をはだけさせる。
このまま何も言わなければ、剥き出しの肌を彼の生暖かい吐息がかすめ、鋭い歯でこの瞬間を刻みつけるのだろうか。
だとしたら今度は、最後まで私を見つめていてくれるのだろうか。
それはそれで悪くはない気もしたが、私はその権利を放棄した。

「クジャの元にいて、クジャの寵愛を受けて、クジャに愛を囁くの。…だから、離れないで。」

青い瞳が満足げに細められた。

-永遠にだよ。

どちらからともなく唇が重なり、熱を持った舌が絡まり合った。
緩んだ首まわりから衣服が落ちることなど、気にも留まらなかった。

***

私は使用人から、ナイト家から荷物が届いているという知らせと一通の手紙を受け取った。
やけに分厚い手紙の封を開けば、一枚の紙と十枚のカードが入っていた。
カードについては、元々私が持っていたものだった。
ちなみに、手紙の中身はこうだ。


昨晩は見事な闘いだった。
この手紙が手に渡っている頃には、約束の通り、当家の者が貴家に褒賞を届けていることだろう。
好きに使うといい。

それから、過保護な主に伝えてほしい。
ジェイダの非礼ついては、本人から聞いている。
書面にはなるが、私から詫びさせてもらおう。
本当に申し訳なかった。
謝罪の意を込めて、先日武器と合わせて仕入れた陶器も含めておいた。
どうやら、500年前にエスト・ガザで作られたものらしい。
眼鏡に叶うかはわからないが、納めておいたらいい。

ここからは別件になるが、来週、また新しく私のコレクションが入荷することになっている。
判断は任せるが、もし興味があるようなら歓迎しよう。
もちろん、安全は保証する。




「クジャ、ナイト家の当主が謝ってる。」

私は手紙を差し出した。
クジャは私ごと引き寄せると、先程身体を重ねたばかりのベッドに座らせ、抱えるようにして内容を読んだ。
この体勢では読みにくいと思うのだが、彼はずっと私を側から離そうとしなかった。

「謝りたいのか、誘いたいのか。まったく都合がいいことだよ。気になるなら行ってくればいいんじゃないかい?」
「行ったら寂しくなる?」

私は彼を見上げる。

「門限厳守だよ。それと、…もう一回、だ。」

クジャは態とらしく耳元で告げた。



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これはクジャ様怒るわ・・・
というわけで、長かったですがお疲れ様でした!