Hi Betty!

バニーガールと秘密の夜会 #2

-#name#、随分と長いことお楽しみのようじゃないか。

よく聞き覚えのある声だった。
私は観客席の方に目を向け、さらりと全体を見渡したが声の主は見つからなかった。
彼がこの手を使ってくるということは、私の居場所は分かっているのだろう。
この先の流れを想像するのは容易かった。
まず、門限を過ぎた理由について問い詰められ、たっぷりと嫌味を言われ、最終的に、しばらくの間は片時も側を離れることを許されないのだ。
本人は絶対に認めないが、結局のところ私がいないと寂しいのだろう。
今回はナイト家の屋敷なんかに居座っているのだから、余計にこってりと絞り上げられそうだった。

-なんで、こんなことに巻き込まれているのかは後で聞くとして、あと十五分、しっかり持ちこたえることだね。まぁ、いざとなったら助けてあげるよ。こんなところで、僕の可愛い子うさぎをくたばらせるわけにはいかないからね。
-ちょっと待って…!なんで知って…
-ほら、前を見なよ。

チェーンメイルの塊が向かってくるのを咄嗟に股下をすり抜ける形で切り抜けた。
この魔物は体のわりに俊敏ではあるが、速さでは当然ながら私の方が優っている。
なので、ある程度好きな場所に攻撃を当てに行くことはさほど難しいことではない。
しかし、攻撃を当てることができたところで精密に編まれた鎖をなかなか突き破ることができなかった。
まず、私の選んだこの曲刀は細身でリーチはあるが、片刃で重みはあまりない。
斬りつける攻撃ではチェーンメイルを引き裂くことが難しかった。
この巨体でなければ、打撃を与えることくらいはできたというのに。
よって突きをうまく繰り出して、網目を徐々に壊していくといった方法をとるしかないのだが、今度はこの曲刀の方が心許なかった。
下手にチェーンに巻き取られ、向きが悪ければ刃が砕けかねない。
必要以上に当たりに気を遣わなければならなかった。
この剣がなくなってしまえば、私に勝算はないのだ。
憎らしいことに、縛りとして魔法捨てたのは失敗だったと言わざるを得なかった。
私はこうして相手と選択の時点でかなり不利な立場に立たされているわけだ。

-…十五分もあれば充分よ。

私はそれでも、彼を頼るつもりは更々なかった。
勝算が全くないわけではないのだ。
まず、私は魔物の心臓部分ばかりに攻撃を当てていたため、チェーンメイルは綻び始めていること。
もう一つは、首だ。
首元だけは僅かにチェーンメイルの隙間があるのだ。
確実にその部分を突けば勝ち目はある。
だが、私にとってはこの魔物の首の位置は高く、当てに行ける機会が少ない。
足場さえあればどうとでもなるのだが、真っ平らな床と四角い檻というシンプルすぎる舞台にはそんな高尚なギミックなど用意されていなかった。
せめてうまく惹きつけることができればよいのだが。

-まったく君も諦めが悪いねぇ。どうしてこんなに強情ばっかりなのか…。さて、こっちもお客様がいらしたみたいだよ。歓迎しないとね。

クジャは意識を別の方に向けたようだった。
こんな風に彼とやり取りをした後は、決まって心の中が全て読まれていたのではないかと不安になる。
しかし、そんな不安に長々と浸っている暇はなかった。
私はこれまでと何も変わらず、カメレオンのように魔物の動きをじっと目で追う。
鉄球や拳が私の身を打ち砕く寸前までけして目は逸らさなかった。
この世界は極めて精巧にできているのだ。
精巧であるが故に、ほんの些細な綻びで全てが崩れ落ちる。
私はわずかに解れた糸を見つけ、そっと引っ張ればいい。
だから、全てを感じていなければいけない。
どうしてか、時折私の頭の中にはそんな想像がよぎるのだ。

***

ところで、そもそもどうして私がこんなところで馬鹿みたいな巨人と同じ檻の中で仲良くチャンバラごっこなどしているのかというと、当然のことながら経緯がある。

私はクジャに小麦粉を買いに行くと告げて屋敷を出た。
もちろん小麦粉もほしいのだが、それは半分口実だった。
本当は息抜きがしたかったのだ。
トレノの水辺周辺はいつだって、ひらひらとフリルをはためかせた貴族達が闊歩し、それぞれ買い物を楽しんだり、カフェでのお喋りに明け暮れていた。
そんな優雅で平和で小綺麗な光景は、時折私を飽き飽きとさせ、ごろつきだらけの薄汚いぼろ家が並ぶ光景を恋しくさせた。
思い返してみると、この行動の発端は城仕えのフラストレーションだったのかもしれない。
簡単に言うと、アレクサンドリアの裏通りやトレノの雑居区のような場所であれば、礼儀について考える必要もないし、大抵のトラブルは喧嘩に勝つかうまく逃げ切るかで解決する。単純明快かつ自由なのだ。

しばしば私はカードゲームをするが、カードスタジアムには赴かなかった。
けしてカードが強いとは言えないし、正々堂々と勝負をして勝つことにはさほど興味がないのだ。
今日もいつも通り、雑居区の酒場へと向かっていると、途中で石畳から足を投げ出して座り込んでいる男を見つけた。
身なりから推測するに雑居区の住人ではないが、水辺に屋敷を持っているほど裕福ではなさそうだった。
トレノの人間ではないのかもしれない。
旅の途中に財布でも掏られたのだろうか。

「こんなところで何してるの?念のため言っておくけど、ここからは飛び降りない方がいいよ。仮にうまく死ねたとしても、死体、漁られるから。」
「余計なお世話だ。」

茶化すように声を掛ければ、男は呆れたように吐き捨てた。

「ねぇ、暇ならカードの相手してよ。」

私は彼に暇つぶしに付き合ってもらうことに決めた。
嬉しそうな顔こそされなかったが、申し出は断られなかった。
しかし、それが事態を大きくする発端だった。

「袖の中を見せろ。」

彼の冷静沈着な声色が周囲に反響した。
私が最後のカードを置いた直後だった。

「どうして?」
「隠し持っているだろう?」

私は石畳に手をつき、立ち上がる。

「何も持ってないわ。」
「なら、見せられるはずだ。」

彼の体勢は出会った時と変わらず石畳の淵に腰掛けたままだったが、その眼光は鋭くこちらを見据えていた。

「…困ったなぁ。」

私は彼に歩み寄り、しゃがみ込む振りをしてから頭部をめがけて蹴りを繰り出す。
雑居区定番の武力行使というやつだった。

「なかなか悪くないな。」

乾いた音が響いたかと思えば、私の足の甲は彼の革手袋に受け止められ、代わりに私の頭部には銃口が向けられていた。
それに続いて、この緊迫した空気を掻き立てるかのように、袖の中からカードが数枚、ぱらぱらと舞い落ちた。
時が止まったかのような静寂の間、掌に力が吸い込まれる感触をもう一度思い返す。
久しぶりに感じる、鮮烈な一瞬だった。

「ねぇ、その紋章…もしかして、貴族?」

私は足を掴む彼の手の小指にシグネットリングがはめられていることに気がついた。

「一応、そういうことになるな。」
「どうしてこんなところに、貴族様様が座り込んでるわけよ…」

貴族であるならば、身なりと行動をその規範に一致させてもらいたいものだった。
私とて、クジャがいる手前、なるべくなら貴族を相手に問題を起こしたくないという気持ちは持ち合わせているのだ。

「どうしてだろうな。…一先ず、この件の落とし前をつけて貰わなければなるまい。丁度、お前にいい仕事があるんだ。」

-そういう流れになるのね。

内容はわからないが、その仕事というものがろくなものでないということだけは想像がついた。

「嫌って言ったら?」
「ここで死体にして売り払ってやってもいいんだ。漁られるのが臓器くらいなら、まだましな方だろうな。」

彼の口調は脅し文句ですらも抑揚がなかった。
もし私がカードスタジアムの脇のテラスでケーキを頬張りながら、まったりとした午後の一時を堪能することが日課の御令嬢だったとしたら、この場で泣き崩れていたことだろう。

「それ、上手な返しね。…憎たらしいくらいに。」
「怖気づかれなくて安心したよ。そういう女が欲しかったんだ。」

彼は不敵に笑った。

***

その後、私が連れて来られたのはナイト家の屋敷だった。
あろうことか、彼はご近所の当主だったのだ。
早速、当主から渡されたのはバニーガールの衣装だった。

「…もしかして、そういう趣味なの?」
「…そう疑われても仕方ないだろう。だが、理由はある。」

当主が言うには、けしてそういった趣向なのではなく、今日の夜会を盛り上げるための要素の一つだとのことだった。
そして、彼が私に求めていることは、ウエイターとして闘いの最中に酒や食べ物を運ぶことだった。
人の死を見るかもしれないことと、公にしていない夜会であることから丁度いい人材を見つけることができなかったらしい。

「なんだ、もっとえぐい仕事なのかと思ってた。」
「期待に添えなくて悪かったな。」

ちなみに、私の手持ちのカードは全て当主に預かられている。
なんとか取り戻したいところだが、彼が快く返してくれる状況が今後起こり得るとは思えなかった。

私はバニーガールの衣装に着替え、当主お抱えのごろつきと一緒に物資の運搬を手伝った。
その時に息抜きの場である雑居区の酒場は、地下が水路に繋がっているということを初めて知った。

一通り準備を終え、会場に招待客が集まり始めた頃、私は当主にある質問を投げかけた。
とても大事なことだった。

「夜会が終わったら、帰りたいと?」
「そう。それくらい働けば、とんとんでしょ?あと、カードも返してくれるとありがたいんだけど…」
「駄目だ。」

当主はきっぱりと断った。

「じゃあ、他に何の仕事があるっていうの?」
「武器の仕入れから手入れまでを手伝え。嫌いじゃないだろう?」

武器が嫌いじゃないのは事実だし、寧ろ好きな方だ。
今晩使う武器の手入れをする当主と会話した際に彼も雰囲気で察していたのだろう。
ここ数時間の付き合いだが、当主と私は話が合うのだ。

「嫌いじゃないわ。でも、ずっとここにいるわけにはいかないの。」
「…駄目だ。」

当主は強情だった。

「なら、条件があるわ。」
「言ってみろ。」

私は意を決して、条件を言葉にした。

-私も闘いに出させて。それで、私が勝ったら帰れる。こういうのはどう?

あまり使いたい切り札ではなかったが、そうでもしなければこのまま帰れる気がしなかった。
クジャがこのことを知ったら何と言うだろうか。
恐らく、数時間は機嫌が戻ることはないだろう。

「自分が何を言っているか、わかっているんだろうな?」
「もちろん。」

私は頷いた。

「…俺が見繕った魔物だ。そう簡単には済むまい。引くなら今のうちだ。」
「覚悟の上よ。もしかして、心配されてる?」

やけに念を押す当主に聞き返せば、溜息を吐かれたが、同時に小さく笑みを浮かべたようにも見えた。

「では、ルールを説明しよう。」

彼の口調にはやはり抑揚がなかった。

***

時間は残り一分も残っていなかった。
もし、仮に勝つ事ができなかったとしても生きてさえいればクジャが事態を終息させるのだろう。
だが、そんな終わらせ方をするわけにはいかなかった。

私は目蓋を閉じた。
次の一手で全てが決まるのだ。
真っ暗な視界の中では、チェーンが擦れ合う音と、檻を操作する機械音、観客席のざわめきが各方面から混ざり合って私の耳へと届いた。
感じなければならない。

-会場のざわついた音、肌を撫でる空気の流れ、両足に乗る重心、手に握った刀の切先、それから…

感覚を研ぎ澄ませるほどに、重なり合う要素が明確になっていく。

-やっと、世界の綻びが見えた気がした。

目を開けば、振りかざされた鉄球が目前に迫っていた。
私が軽く身を引けば、その横を重厚な鉄塊が通り抜けていった。
魔物の攻撃が外れたのを皮切りに天井から檻が落とされる。
私は一直線に前に走った。
落ちる檻の隙間に滑り込み、その勢いを刃の先に乗せ、心臓部分へと伝搬させた。

視線を上げると、曲刀が魔物を貫いていた。

刀を引き抜けば魔物が後ろへと倒れ、その重さに会場全体が振動する。
抜いた曲刀の刃先には欠け一つなかった。
しばらく会場は静まり返っていたが、その数秒後には歓声に包まれていた。
ナイト家の当主は依然として会場を傍観していたが、私の視線に気づくと、数回拍手をした。

-まったく、無茶をしてくれたものだよ。

クジャはきっと呆れた表情をしているのだろう。
本当は安心しているくせに、見てくれだけは取り繕うのだ。
私は開かれた檻の扉を潜り抜けた。
明るさの差に目が眩むが、すぐに食器の敷き詰められた丸テーブルとそれを取り囲む招待客達が視界に入った。
やっと現実に戻ってきたような感覚だった。

「では、勇敢な挑戦者に褒賞を与えよう。」

当主の言葉を合図に、布を被せられた台車が数台、檻の前に並べられた。
私は呼ばれるまま、当主の座る玉座のような椅子の前へと足を進めた。



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まだ続きます。
次こそは甘くなるはず。