Hi Betty!

夢のような夜伽 #1

かなり修正しました。(2020/1/15)
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客室を前に私は躊躇していた。
城では、ダリに作られることになった黒魔導士の製造工場の件で連日のように話し合いが行われており、ブラネ様の勧めによってクジャ様はしばらく城に宿泊することになっている。私がいるのは、クジャ様が使用している部屋の前だった。
いつものように、ただ扉をノックすればいいだけだというのに、なかなか手を動かせずにいた。ブラネ様から命じられたある仕事が原因だった。
しかしながら、そう長い間ここに居座っているわけにもいかず、私は意を決して彫刻が施された木製の扉を叩いた。

「クジャ様、その…」
「話はブラネから聞いているさ。」
「…それなら、助かります。」

クジャ様は扉を開くなり、すぐに私を迎え入れた。私から全てを説明する必要がなかったことについてはありがたかったが、できることなら彼にはこう言った話を持ちかけないで欲しかったというのが本音のところだった。

「今日が初めてじゃないんだろう?」

私は頷いた。なんと切り出したらいいのかわからず、彼を直視できずにいると、クジャ様は大きく溜息をついた。

「意にそぐわなければ、突き返してください。仰る通り、これが初めてではありませんし、ブラネ様の命であれば私は何度だって…」
「泣きそうな顔で言う言葉じゃないね。」

最後まで言い切る前に、クジャ様は私の身体を抱き寄せた。どうして彼がこんな行動をとるのかはわからなかったが、そうされるだけで更に目元が熱を持っいる事実だった。拒絶されるかもしれない。そんな不安で胸の内がいっぱいだったのだ。安心している反面、客観的な私は不純物の混ざった表皮に綺麗な白い手を触れさせないで欲しいと、心のどこかで必死に声をあげてもいた。

「#name#、紅茶を淹れてくれないかい?」
「紅茶、ですか…?」

そんなことなど知らず、クジャ様は目を合わせることのできない私の頭をゆっくりと撫でる。

「そう。行けるかい?」
「…はい。」

思いもよらない注文に戸惑うが、すぐに承諾した。こういった仕事では、いつもの給仕らしい給仕はしないのだ。私はテーブルに置かれた他の誰かが持ってきたのであろう、ティーカップを持って部屋を出た。カップの中身は手がつけられた気配がなかった。

私の今晩の仕事というのは、クジャ様の夜のお相手をすることだった。ブラネ様は時折こういったことを私に命じるのだ。もちろん、クジャ様が嫌と言えばそれまでだ。
彼はどうするつもりなのだろうか。そもそも、こんなことをしていると知ってどう思っているのだろうか。知られてしまった以上、今後顔を合わせたらどう接すればいいのだろうか。
準備の間、様々な疑問が頭に浮かんだ。
正直なところ不安ばかりだった。クジャ様はブラネ様の折檻について知っている数少ない人間の一人だ。そして、度々私のことを気にかけてくれる人物でもある。立場上、自分から距離を縮めることはなかったが、思っていたよりもずっと私の中での彼の存在は大きくなっているのかもしれない。
お湯が沸き立つ音で我に帰ると、洗い立てのティーポットに沸いたばかりのお湯を注ぎトレイに載せた。それから、ティーセットが並んだトレイを持って彼のいる客室へと戻った。

***

「どうぞ。」
「おいで。」

私がテーブルにティーセットを置くと、クジャ様は自身が座っているソファへと誘った。
言われるままに私は彼の隣へと腰掛ける。

「カップの個数を言ってなかったね。」
「申し訳ございません。クジャ様はこちらをお使いください。もう一つ持ってきます。」

立ち上がろうとする私をクジャ様は引き止めた。

「いいよ。君にあげる。」
「いいえ、私は侍女なので…」
「今も侍女なのかい?」

クジャ様の問いかけは答えに困るものだった。

「…少なくとも今はそう振る舞うべきだと思っています。」

正解がどうであるかは分からないうえに、女王の側近が体を売るものだなんて認識はこれっぽっちもないが、今の状態ではそうある他にどうすればよいかわからなかった。

「ふぅん、じゃあこれは命令だ。その紅茶は君が飲みなよ。」

投げ捨てるような言葉とは裏腹に、彼は初めから私を落ち着かせようとしていたのかもしれない。

「…気を遣わせてしまっていたのですね。」
「さぁ、なんのことだろうね。」
「ありがとうございます。…いただきます。」

私は両手でティーカップを取り、紅茶を一口飲み込んだ。温かい温度が喉を伝っていく。普段、クジャ様の前で飲食をすることはないので不思議な感覚だった。思い返してみれば、嫌いなわけではないが、日頃自分から好んで紅茶を飲むことはなかった。

「どうして君がこんなことまで?」
「わかりません。いつ頃だったからか突然命じられて、時折こういった話を持ちかけられます。」
「呆れるくらいに忠実な僕(しもべ)だよ。」
「…そうですね。」

クジャ様はいつだってブラネ様と私の関係性について難色を示す。私自身もこの関係が周囲から理解されないということはよくわかっていた。
しかし、私にとっては単純にこれがブラネ様に対する忠義なのだ。命令の意味などはどうだってよかった。ブラネ様に対して、私にとって一番大切なのがブラネ様であることを示していたいだけなのだから。

「そのわりに、随分と浮かない顔なのが気になるけれど。」
「そういうつもりじゃ…」
「そうでいてくれた方がいい。」

クジャ様は目を伏せた。

「まぁ、結局はきっと僕が嫌だと言わせたいんだ。君のことは君が決めればいいさ。」

小さな笑い声には、どことなく自嘲が含まれているように感じられた。やはり、彼も快くは思っていないのだろう。当然だ。歪んでいるのは私なのだ。それでも全てを否定しないでいてくれることが、些細なことながら嬉しくもあり、心が痛むところでもあった。

「………クジャ様。」
「なんだい?」

向けられた視線が優しかったことに少しだけ安堵した。

「今までありがとうございました。……なんとなく、これまでと同じようにはいられない気がして。」

本当はもっと言いたいことがあるはずだというのに、簡素な言葉しか出てこないことがもどかしかった。クジャ様と私を繋いでいるのは千切れ始めたロープなのだ。束になった糸が一本一本切れていき、いつかは全ての糸が切れてしまう。次に会ったら時にはきっと、同じようには私のことを扱ってくれない。苦しいくらいに、いろいろな感情が渦を巻いているのに、何一つとして言葉にならなかった。いや、言葉にしてはいけないということを、本能が知っているのかもしれない。一つ溢れ出たら、余計なことまで口走ってしまうのだろうから。

「そうかい。」

私の想いに比例せず、彼の返答はそっけなかった。終わりは着々と近づいている。私の決断は、彼の考えとは一致しないのだ。
せめて、何か上手な言葉がほしかった。
私が頭を悩ませていれば、クジャ様が囁くように静かな声で語りかけた。

「#name#、今晩は一緒にいてくれないかい?」

咄嗟に彼の方を向けば、両肘をソファの背にかけ足を組んだ姿勢で遠くの方を見ていた。私の視線を感じ取ったクジャ様は微笑み、首を傾けてみせた。クジャ様は私がノーと言わないであろうことを見透かしているのだ。そして、それは概ね間違いではなかった。実際に誘いを受けた私は、彼が千切れ始めたロープの糸を手繰り寄せてくれていることが嬉しくて仕方ないのだ。

「はい…!私で構わないのなら…」
「なにもそこまで嬉しそうにしなくてもいいだろう?それとも、そんなに僕に抱かれたいのかい?」
「えっ、んと……」
「よくそれで…、まあいいや。君の場所はこっちだよ。」

クジャ様は何かを言いかけたが、途中で仕舞い込んだ。言いたかったことはわからなくはない。お世辞にもクジャ様の前での私は、夜の相手という言葉が似合うとはいえなかった。彼に招かれるまま、私は彼に寄り添い肩の辺りに頭を寄せる。溶け込むかのようにクジャ様の体温が身体に馴染むのが、自然であり不自然でもあった。

「ここ数日、ずっとクジャ様のことを考えていました。」
「へぇ、恋煩いかい?」
「そういうのじゃありません…!」

彼を見上げれば、くすりと笑われた。

「ただ、幻滅されて取り合ってもらえなくなるんじゃないかって…」
「ふふ、そんな思春期じみた発想が浮かぶほど純粋じゃないよ。」
「クジャ様にだけはこんなことしてるだなんて知られたくなかったのに…」

クジャ様からは答えがなかった。

「………今更何を言ったところで、ですよね。」

本当は、頭の片隅でブラネ様の話を受けなければよかったのではないかと思うことが幾度となくあった。その考えに至るようになったのは、クジャ様の影響が大きいのだろう。彼が私の傷を治すとき、彼が私の頭を撫でるとき、彼が私を抱き寄せるとき。私がそう考えるのは、きまってそういう時ばかりなのだ。

「#name#、僕のものになってくれるかい?」

クジャ様の言葉は唐突だった。
彼の切れ長な瞳の中心に位置する淡い虹彩は、その繊細さとは裏腹に私の視線をとらえて離さなかった。

「…………それはできません。」
「相変わらず、頑固だね。」
「ブラネ様には誰かがいないとだから……」

これほど熱量を受けて尚、私が首を縦に振らないのは
、結局のところブラネ様を放っておけないからだった。一見、傍若無人に見えるブラネ様だが、中身のところは不安で世の中の全てに対して疑心暗鬼なのだ。ブラネ様は就寝の前、時折、私に心の内を吐き出すことがある。ブラネ様が女王に就任されてから、即ち前国王が亡くなられてからは、心の内を蝕む毒素を吐き出す先が私以外にはいない。ブラネ様は人との信頼関係を作ることに関して、不器用だったのだ。

「今晩だけだとしたら?」
「…え?」

私は、身体の奥深くで高鳴るなにかを鎮めようと胸を押さえた。そんなことをしても効果がないことは、わかっていた。ただ、なぜこんなにも心が高揚するのか。私は彼のことをどれほど思っているのか。計り知れなかった。

「明日にはまたブラネのところに戻ればいい。」
「………それなら。でもやっぱり私、こんなだから……、クジャ様には勿体ないです。」

条件としては断わる理由はない。しかし、泥沼の中から伸びる手が私の足首を掴んでいるのだ。手の持ち主は誰なのだろう。以前に夜を共にした男だろうか。だとしたら、濁った水面から次第に何本も手が伸びてきて、そのうち私は引きずり込まれてしまうのかもしれない。

「僕がほしいって言ってるんだ。関係ないよ。」

クジャ様は私の脚にそっと触れ、泥だらけの手を引き剥がした。
私は彼の腕の中で頷いた。

「じゃあ、君は誰のものだい?」
「……クジャ様、……のものです。」

目元から生暖かいものが伝う。拭っても拭っても止まらなかった。クジャ様は私の身体を包み込んだ。このまま彼に包まれていれば、私も柔らかな白に染まれるのだろうか。

「僕だけのことを考えていればいい。」

クジャ様が囁きかける。その言葉は私の中に染み渡り、しばらくの間、温かな余韻を残した。